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  • 笑海の独り言 2

更新日2009年1月1日

おわりました!『国立劇場演芸場・玉川スミ芸能生活85周年記念興行』
大入りもでました!これもひとえ玉川スミ師匠の若さと美貌のおかげ・・・でもなんでもなく、劇場に足を運んでくださったお客様のおかげでごさいます。感謝!これで、スミ師匠もいい冥土の土産ができたことでしょう。
いろんなことがありました!私、10日間踊りましたし、口上にも出ました!後見もがんばった!日替わりでゲスト出演された師匠方にも「よくやった」「くるしゅうない」「よきにさからえ!」と労いのお言葉をかけていただいたり。えらいぞ!オレッ!ほめてつかわす。っと、まぁ自分のことは置いといて。

スミ師匠、すごいです。白状します。『松づくし』なんですが、扇子の数、師匠は、50本だとおもってやっていたんですが、じつは、それよりもかなり多かった時があったのです!
どうゆうことかと申しますと、最初は50本だったんです。が、何日目かの本番直前、松に見立てた扇子が折れました。あわてた我々ですが松のつなぎ方は師匠しか分りません。修理を見守るしかなかったのですが、ある人が「師匠、こんなところに松が、」と松に成った扇子の束をもって来まして、我々あわててその松と修理を終えた松を舞台に出して幕が開いたのです。その日から師匠「なんかバランスが悪い」とか「ヘンダナァ」とか「体が重い」とか言いだしたのでみんなが師匠の体を心配しました。
そんなことがあってから3日たって舞台スタッフが「こんなのが落ちてました」と持ってきた紙にすみ師匠の字で『予備』と書いてありました。そうです、3日間予備の松『も』頭に載せてバランスをとっていたんです。なんだか重たいのも、バランスが悪いのも体調のせいではありませんでした。
舞台以外で扇子に触れることは禁じられていたのですが、後でそ~と予備分の扇子を除いたのはいうまでもありません。それからの松づくしは、何事もなかったかのように千秋楽までつとめました。
こんなこともありました。
「お楽しみコーナー」直前、師匠、出番前に舞台袖で前に出ている芸人の三味線に合わせて太鼓をたたいていたらそのうち胸が痛くなったのか「ちょっと、ニトロもってきて、」って、あわてて西川さんがニトロ持ってきて「師匠!大丈夫ですか?」ったら「いや苦しくなるかも、予防になめとく」。そんなやりとりがあった直後でも元気に高座をつとめていました。袖でみていて冷や冷やしました。

元気なようでも、やはり人間ですもの歳には勝てないのです。
「松~」も本当は、後見が小柳枝師匠のときは、足元は天狗が履いているような一本歯の下駄で枡の数はもっと多く(少なくとも今回の倍)さらにのけぞったり股の下から扇子を出したりをずううっと片足(サルティンバンコか!ってゆうくらいのバランス芸)でやっていたのです。(そのだいぶ後の二代目後見の時の映像は国立劇場にあるが、それでもすごい!)
お見せできないのが残念ですが、師匠ももどかしく思っているようでした。
今は、その豊富すぎる経験からの時折思い出したようにする昔話がとても面白くためになります。(プライベートの時に聞くことが多いですが。)
どうか、今、聞くことの出来る玉川スミの芸を一回でも多く劇場で直に観てください。

落語家としては、3代目の後見より。

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